2024年更新中
- 下田のお吉ヶ淵と宝福寺などで3月27日(水)に第134回忌お吉祭り開催予定
- 下田で3月27日(日)に開催予定のお吉祭りは規模を縮小して開催予定
- 下田で3月27日に開催予定のお吉祭りは規模を縮小して開催予定
- 令和2年3月27日に開催予定のお吉祭りは、新型コロナウィルス感染症の拡大等防止のため、中止となりました
下田のお吉ヶ淵と宝福寺などで3月27日(水)に第134回忌お吉祭り開催予定
悲劇のヒロインとなった「唐人お吉」
桜のもとで艶やかに行われるお吉の供養祭。
毎年3月27日、市内のお吉ヶ淵と宝福寺で、開国史の悲劇のヒロイン・お吉の供養祭がとり行われます。
お吉ヶ淵では、下田芸妓衆や観光関係者による献花が行なわれます。
【2024年内容】
○お吉ヶ淵法要 10:00~
○宝福寺法要 10:45~
○芸能大会 11:30〜
(下田市民文化会館大ホール)
○グルメ広場 10:00~15:00(宝福寺駐車場)
奉行所の命で米国総領事ハリスに17歳で仕え、その後流浪の人生を送ったお吉は、1891年(明治24年)のこの日、我が身の苦悩に耐えかね、お吉が淵に身を投じ、数奇な一生を終えました。享年51歳でした。
奉公のために恋人・船大工鶴松と別離し、奉公後は世間から「唐人」という名で蔑まされ、しばらく横浜へ移り住んだ後に再び下田で髪結い業や小料理屋「安直楼」を開業しましたが不振に終わりました。身寄りのないお吉の亡骸を引き取り供養したのが当時の宝福寺の住職でした。
現在では新しく墓石も寄贈され、全国のお吉ファンや芸能人が参拝に訪れます。
お吉の悲しいエピソードは、後に多くの戯曲や歌、文学の題材になり、後世に広く伝えられています。
最近ではサザン・オールスターズにも「唐人物語」として歌われ、若い世代にも知られるところとなりました。
お吉の命日にあたる祭り当日は、毎年必ずのように雨が降ります。
お吉の無念の涙雨だと地元では囁かれます。
春雨に濡れて、哀愁漂う中にもどこか艶やかな雰囲気のあるお祭りです。
今年も例年通りに開催されるようです。
袖に下田の歴史の一部に組み込まれてしまった人物ですが、やはり個人の生涯と思うと切なくなる人生です。それを偲ぶ人々の気持ち共々これからも大切にしたいですね。
お吉についてはここで素人が綴るよりも、数多の作品を見た方が遥かに心に響くであろうと思われます。ですからその生涯を紹介するに留めておきます。それでも長めですがご容赦を。
本名、斎藤きち、通称お吉は14歳で下田港に入った船乗りなどの身の回りの世話をする宿専属の芸者になったそうです(※諸説あります)
見目も良く、声も美しく新内の明鳥の歌が上手なことから「新内のお吉」「明鳥のお吉」などともてはやされた少女でした。
お吉がこれから芸者として大成していきそうな17歳の時、下田奉行所支配頭取、伊差新次郎からお国のために下田にあったアメリカ領事館の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの元へ使えてお世話係をしろと迫られます。
お吉は大金を積まれてもそれを固辞しました。
当時の外国人は庶民からするとそれは怖ろしい存在であったようでさまりなんというところでしょう。またお吉には大工で鶴松という名の恋人がいましたので、嫌だったとも思われます。
伊差新次郎はそこで矛先を代え、鶴松に武士に取り上げることを提示し、お吉と別れるように促しました。欲に眩んだ鶴松はそれに従います。
傷心のお吉は伊差新次郎の条件を呑みハリスの元に使えます。
しかしお吉は3日で奉公から帰されました。
理由はよく分かりません。お吉の身体にできものがあったからとも言われているようです。
しかしそんなお吉に対して村人は夷人に肌を許した女、「唐人お吉」と呼んで蔑み石を投げつけました。
唐人とは当時の差別用語のようです。
これがお吉の苦難の人生の始まりであり、お吉が酒に耽るようになる切っ掛けとなったのです。
その後、お吉は江戸に登るハリスに同行します。
お吉はこのままずっとハリスと共にある覚悟のようでしたが、江戸に着くと幕府から手切れ金を渡されお払い箱にされてしまいました。
お吉はそれからしばらく歴史上から姿を消します。
再びお吉が歴史の表に現れたのは横浜です。
かつてお吉の恋人だった鶴松は一度は武士になれたものの、結局幕府は崩壊し武士の地位はなくなってしまいました。
仕事にあぶれた鶴松はその頃開発が盛んだった横浜の地で土方仕事で暮らしていました。
そんな鶴松とお吉は横浜で偶然巡り逢います。
十年振りに再会したお吉と鶴松は、その夜から鶴松の長屋で一緒に暮らし始めることとなりました。
再びお吉とよりを戻した鶴松は一所懸命に働き、お吉は甲斐甲斐しい妻として二人の幸せな生活が始まりました。
お吉はこの間に横浜で髪結いの店に勤めてその技術を身につけます。
そうして4年が過ぎた頃、二人は下田のことを懐かしく想いついに帰ることを決心しました。
元々大工だった鶴松が下田に家を建て、そこで二人の新たな生活が始まりました。
お吉は下田で髪結いの商売を始めましたが、横浜で学んだ最新の流行を持ち帰りお店は繁盛します。
どうやら文明開化の進んだ御代で、この頃には唐人お吉として蔑まれるのは影を潜めていたようですね。
しかしそんなお吉に芸者だった頃の旦那集から声がかかるようになり、お吉は座敷に上がるようになります。
お吉は勧められるままにお酒を飲みますが、だんだんと酒癖が悪くなり、その事で鶴松と口論するようになりました。
そしてついには喧嘩別れしてしまいました。
その後、お吉は三島で芸者をしていましたが、また下田に舞い戻り髪結いを始めたものの、地元の船主から小料理屋兼遊女屋「安直楼」の経営を任されます。
この頃のお吉は酒に溺れた酒乱となっていました。
まかされた店のお客の前でくだを巻いたりと酷い姿をさらすうちに、客足は遠退き、結局安直楼は潰れてしまいました。
その後、お吉は自暴自棄となったのか、さらに酒浸りとなります。
身も心も疲弊し、ついにはその日暮らしもままならない状態になってしまいます。
その結果、お吉はついには乞食の集団にまで身を落としてしまいました。
ただお吉は自尊心は失わなかったようで、人からの施しは一切受け付けずに旧知の名家を回り寄食してたとも伝わっています。
お吉はそんな生活にも疲れ果てたのかもしれません。
豪雨の中、稲梓川上流の門栗ヶ淵に身を投げてその生涯を閉じました。
お吉の遺体は引き上げられたものの「外国人男性に身を任せた醜業婦」「汚らわしい」と蔑まれ3日も放置されたとも。
それを哀れんだ下田宝福寺の住職が境内の一角に葬ります。そのお墓は現在でも見ることができます。
ちなみに宝福寺は唐人お吉記念館もあったりします。
美しく可憐な少女が国家権力に手折られ、時代と世間に振り回されて仕舞いには身を落として身投げしてしまうわけですが、その非凡な生涯が多くの文筆家にはとても魅力的に、あるいは耽美に映るようで、お吉のことが知られるに連れ、彼女の生涯を扱った多くの作品が作られました。
その為、お吉の生涯は実は何処までが真実で、何処から創作なのか判然としません。
尾ひれがたくさん付いていて、しまいには江戸を離れた後、京都に潜伏して攘夷志士を支援していたなどという話しもあるくらいです。
でもそれすらも完全否定することはできません。創作と付き合わせられる史料がないので検証できないのです。
これまでお吉だといわれて紹介されていた写真も、現在は別人の可能性が高いようです。
でも真実は小説よりも奇なりなどとも言われるように尤も突拍子もないことが実は真実の可能性もあるわけです。でも全ては歴史の闇の中です。
現在ではなかなか想像し難い理由で人生を振り回されたお吉ですが、その後様々な作品となったこともあってとても有名になりました。
そして時代も流れ、悲しい生涯を遂げた彼女に同情する向きも強くなりました。
そんな世間の流れもあり、斎藤きちの命日3月27日に、お吉が身を投げた門栗ヶ淵(お吉が淵)とお墓のある宝福寺で供養祭が執り行われるようになったようです。
結果論ですが個人的には何故、横浜の元町に腰を据えられなかったのか、それがひどくもどかしく悔しいです。
でもそのまま幸せな余生を送っていたら、今のようにお吉の存在は広まらなかったのでしょう。
それはお吉にとって幸せな人生ではありますが、後に彼女の人生が多くの作品を残したことを思うと複雑な想いに囚われます。
またそう思う人が多いからこそ、このお吉祭りは続いているのでしょうね。
お吉祭りの基本情報
地図
お吉ヶ淵の場所
宝福寺の場所
近隣からのアクセスと駐車場
お吉ケ淵は414号を下田市街地より北上、蓮台寺駅を通過、お吉ケ淵交差点のもう少し北側、稲梓川沿いにあります。
駐車スペースはありません。
宝福寺は414号から中島橋の交差点を真っ直ぐ南下して市街地に入ります。まもなく進路右手側に宝福寺があります。
坂本龍馬とお吉の絵が描いてある看板が目印です。
普段は駐車スペースあるようですがイベント中はわかりません。
一応近所ですと斜向かいの静岡銀行のところに時間制の有料駐車場があります。
下田市民文化会館は宝福寺隣、社会福祉協議会と隣接しています。
駐車場 100台
公式情報
主催/下田市観光協会
外部サイト 伊豆下田観光ガイド-伊豆下田観光協会公式サイト-
下田で3月27日(日)に開催予定のお吉祭りは規模を縮小して開催予定
※2022情報
公式では確認時にみつかりませんでしたが、静岡新聞の方には今年も規模を縮小しての開催となっていました。
そのため、内容的には昨年を踏襲しているものと推測されます。
感覚的には今年はもう開催出来そうな気もしますが、つい先日までまん延防止等重点措置だった事も考えるとなかなかイベント開催を決めきれないのかもしれませんね。
ぼちぼち春ですし、花見などの活動時期でもあるかと思いますが遊びながらも感染防止には気をつけて行きたいものです。
下田で3月27日に開催予定のお吉祭りは規模を縮小して開催予定
※2021年情報
令和3年3月27日に開催予定のお吉祭りは、新型コロナウィルス感染症の拡大等防止のため、規模を縮小して開催します。
青空市
(※令和3年3月27日はテイクアウトの出店となります。)
当初の予定のよりも少し緩和されたかな?
規模は縮小するものの今年は開催するようです。昨年は中止となっていたようなので嬉しいですね。
恒例の青空市はテイクアウトのみとのことです。それでも開催出来るようになってよろしかったですね。
緊急事態宣言も解除の運びとなり、いよいよ世の中が動き出しそうです。桜も咲くこの季節はじっとしているのが苦痛なので嬉しいです。ただその反面、再び感染拡大の恐怖もつきまとうので感染予防だけは忘れないようにしましょう。
令和2年3月27日に開催予定のお吉祭りは、新型コロナウィルス感染症の拡大等防止のため、中止となりました
※2020年情報
当然のごとく今年は駄目ですね。
最低限、法要などは行うようですが、今年はそれで精一杯なのでしょう。
でも考えてみますと長い年月の中には思わぬ年もあるものですね。様々な要因で普通とは異なる状態に陥ってしまいます。普通に毎日を遅れることが如何に貴重であるのかしみじみと感じずにはいられません。
外部リンク 伊豆下田観光ガイド-伊豆下田観光協会公式サイト- | 新型コロナウィルス感染症の発生状況を踏まえた下田市観光情報について